湯島聖堂 大成殿(たいせいでん)
湯島聖堂 ゆしませいどう 学問の神様
Yushima Seidou
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東京都文京区湯島1-4-25
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Yushima Tenmangu
寛永九年(1632)、尾張藩主徳川義直 林道春(羅山)をして、上野忍ヶ丘に先聖殿を造営せしめしに始まる。その回緑(火災)の災に罹るや、元禄三年(1990)、将軍綱吉 之を今の地に移して、大成殿と稱せり。後、寛政十一年(1799)大成殿及び杏壇・入徳・仰高諸門を再建し、明治維新の際、大学を此地に置くに及び、一旦 孔子 以下の諸像を撤去せしも、後、舊(もと)に復せり。 建造物は暫く東京博物館の一部に充てたりしたが、大正十二年(1923)九月一日、関東大震災の為、入徳門・水屋等を除くの外、悉く焼亡せし昭和十年(1935)四月四日鐵筋混凝立(コンクリート)構造に依りて原型に復せり。
文部省
<湯島聖堂と孔子>
「孔子」は、2500年ほど前、中国の魯の国(今の山東省曲阜市)昌平郷に生まれた。その教え「儒教」は東洋の人々に大きな影響を与えた。儒学に傾倒した徳川5代将軍綱吉は、元禄3年(1690)この地に「湯島聖堂」を創建、孔子を祀る「大成殿」や「学舎」を建て、自らも「論語」の講釈を行うなど学問を奨励した。平成2年(1990)聖堂は創建300年を迎えています。
<昌平坂学問所跡>
1797年(寛政9年)幕府は学舎の敷地を拡げ、建物も改築し、孔子の生まれた地名をとって「昌平坂学問所」(昌平黌ともいう)を開きました。学問所は、明治維新(1868)に至るまで70年間、官立の大学として江戸時代の文教センターの役割を果たした。
<近代教育発祥の地>
明治維新により聖堂は新政府の所管となり、明治4年に文部省が置かれたほか、国立博物館(今の東京上野)、東京師範学校(今の筑波大学)、東京女子師範学校(今のお茶の水女子大学)などが置かれ、聖堂は近代教育発祥地の地となった。
<現在の湯島聖堂>
もとの聖堂は4回もの江戸大火にあって焼失、再建を繰り返し、さらに大正12年関東大震災でも焼失した。今の建物は昭和10年(1935)鉄筋コンクリート造りで再建したものです。ただし、入徳門は宝永元年(1704)に建てられたものがそのまま残っており、貴重な文化財となっています。
孔子銅像
湯島聖堂 ゆしませいどう 学問の神様
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御茶ノ水駅聖橋口
東京都文京区湯島1-4-25
孔子廟(大成殿)関係のものだけを聖堂と称するようになった。
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湯島聖堂 ゆしませいどう 学問の神様
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